猫又(STORY)
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 気が付くと、私はその古ぼけた扉の前に立っていた。
 頭上には高架が走り、ガタンゴトンと電車の音が通り過ぎていく。辺りはすでにとっぷりと暗く、切れかけた蛍光灯がチカチカと足下に青白い光を投げかけていた。
 見知らぬ場所だった。いつの間にここにやってきたのだろう?私はぼんやりとした頭を振って、おぼろげな記憶をたぐり寄せた。
 たしか会社での残業が終わったあと、同僚と一緒に新宿にある馴染みの店へ一杯飲みに行ったのだった。同僚との話題はいつもと同じ、上司の悪口、使えない新入り、上がらない給料、女房の愚痴。いつもと同じようにクダを巻き、いつもと同じように帰宅するはずだった。しかし記憶をたぐろうとしても、ふっつりとその先は途絶えたように覚えていない。記憶をなくす程飲んだおぼえはないのだが。
 時計を見ると、すっかり終電を逃している時刻だった。まいったな、私は背後にあった電柱に力無くもたれかけながらつぶやいた。どうしてこんなところに...。
 蒸し暑く、風のない夜だった。汗ばんだ背中にワイシャツがべっとりと張り付いて気持ちが悪い。手に持った安物の背広の上着はすでにクシャクシャになってしまっていた。
 クリーニングに出さなくてはならないな。手に持った上着を見つめていると女房の不機嫌な顔が脳裏に浮かび、私はたちまち憂鬱な気分になった。女房の信子は最近機嫌が悪いらしく、ここ一ヶ月ほどまともに口をきいてくれない。最近は彼女に影響されたのか、子供達も妙によそよそしく、どうやら私を避けているようだ。かといって、今更まともに子供達と話をする機会があるでもなく、私は家族から孤立していた。家に帰るのが辛かった。

 自然と、手が目の前の古ぼけた扉のノブに伸びていた。
 扉の隙間から薄く光が漏れている。「営業中」とかかれた表札が出ているだけであとは何の看板もない。何かの店だろうか?
 今にも壊れそうな扉のノブを握ると、キィという軽い音と共に扉が手前に開いた。黴臭いツンとしたにおいが鼻を突く。辺りは薄暗かったが、壁には古びたロウソクの燭台がかかり、オレンジ色の光が細々と足下を照らしていた。
「誰かいませんか」
 暗い廊下に声をかけると、気配でロウソクの光が揺らめき、壁にうつった影もゆらゆらとうごめく。
 ふいに、背後の扉がバタンと大きな音をたてて閉まった。




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※この文章及びイラストはフィクションです。登場する人物、団体は架空のものであり、実在する人物、団体とは一切関係ありません。
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