出産体験記
記:2003年11月
不安ばかりが先に立っていました。
お産ってどういうものだろう!
イタイイタイっていうけれど、果たしてどれくらいイタイものなのであろうか。
経産婦の女性が、口を揃えて「イタカッタヨー!」と叫ぶ陣痛とは、どういったものなのだろうか。
怖い、怖いけど、女として生まれ、そして妊娠したからには、どうせなら一度くらい体験してみるのも悪くなかろう。 不安半分、期待半分、ドキドキで迎えた臨月でありました。


●予定日は10月23日。
臨月近くの 9月14日に実家の福岡に帰省し、両親が紹介してくれた分娩予定の産院(福岡市内にある「いずみ産婦人科」。家族の紹介で入院したのですが、お医者さんや看護婦さんの対応もよく、設備もサービスも素晴らしくて、振り返るととても良いお産が出来たと思います。オススメの産院です)にて一週間ごとの妊婦検診を受けていました。が、数週間検診を受けているうちに、どうも胎児の大きさが小さく、ここ1か月の間、ほとんど大きくなっていないらしいということが判明しまして。
あれこれと検査した結果、胎児の健康状態は今のところ問題ないようなので、とりあえずひっ迫した状態ではないということですが、それでもやはり、胎内での成長速度が緩くなってきているということは、なんらかの原因で私のお腹の中の状況があまり芳しくないということが予想されるのだそうです。
なおかつ、臨月にもかかわらず、いっこうに子供が下に降りてくる気配がなく、私の子宮口も固いのも問題だとのこと。(子宮口が固いとお産が遅れ気味で、難産にもなりやすいのだそうです)
診察してもらった院長先生から、この状態だとちょっと心配なので、頻繁に胎児の様子をモニターし、いざとなったら予定日前に帝王切開をしなくてはならない可能性もあると説明される。
これまで、これという問題なく順調に育っていたので、ちょっとショック...。
私がビビっているのを察知されたのか、先生からは
「胎児については、検査の限り正常のようだし、小さいというだけで、蓋をあけてみたらなんともないということも考えられるから。本当はこういう場合は、臨月に入っていることだしさっさと切って早めに取り出したほうが安心なのだけどね。でも胎児に何も問題がないのに、焦って帝王切開で取り出すのもあんまりという気もするしねぇ...。とりあえずは予定日までは、頻繁に胎児のモニタリングをしつつ、様子を見ましょう」
といわれる。
うーん、私も、願わくば切らずに自然分娩でいきたいのですけど! でも赤ちゃんの無事が第一ですからねぇ。いざとなったら仕方ないわ、と思いつつ、とりあえず、自然分娩でのお産がスムーズにいくように毎日1時間のウォーキングをかかさずせっせと続けていました。


● 出産予定日1週間前になり、これまで1週間ごとの検査だったのが、2、3日に一度、病院にて胎児のモニター検査をするようにいわれる。
私のために、病院では休診日でも窓口をあけて検査してくれました。お産には日曜祝日関係ないというけれど、お医者さんも大変だなぁ。
胎児に変化はなく、相変わらずやっぱり小さいままだったけれど、異常なし。赤ん坊は検査中もハラのなかでボコボコと暴れておりました。


● 予定日3日前になって、おしるし(出血)が出る。
おお、これがオシルシというものか!とちょっと感動。
私の子宮口が固くて、お産も遅れそうなので、その場合は帝王切開だと思っていたのだけど、オシルシが出たのなら、結構いよいよ近いのでは!? 自然分娩できるのでは!?
助産婦さんに聞いたところ、オシルシが出た場合、だいたい3日以内、少なくとも1週間以内にはだいたい陣痛が来ますよ、とのこと。
でも、出産が予定日前に早まった場合、ダンナが出産日に間に合わないという可能性もある...。彼の仕事の都合もあり、飛行機のチケットを前もって予定日ギリギリの日に購入していたのだ。せめて出産が前倒しにならないよう、踏んばっておきたいなぁ。ここは自重せねば。
その日、友人と会う約束をしていたのだけれど、事情を話して約束をキャンセルさせてもらいました。
病院にいって診察したところ、明日からは毎日検査にきてくださいと言われる。


●予定日1日前の午前9時、いつも通りに病院に検査に出かける。
いつも通りにお腹にモニターの端末を付け、検査してみたところ...、検査結果がなんだかいつもと違う。
私のお腹に陣痛前の予兆、軽いお腹の張りが来ているみたいなのですが、それにあわせて、どうやら胎児の心拍数も落ちてきているみたいなのです。
検査後、モニター室にて椅子に座っていると、看護婦さんが「あれ?」という顔をしながら検査結果の紙を見て、その後院長先生もやってきて検査結果の紙を覗き、「やっぱり心配やね〜」とひとこと。
診察室に行くと、院長先生に「帝王切開しましょうかね」と言われる。がびーん。
とはいえ、私自身はいまだに帝王切開にふんぎりがついていなかったので、ちょっと食い下がってみる。
「早く産んだほうがよいというのであれば、陣痛促進剤や人工的に子宮口を広げる手段で(ゴム風船みたいな器具を使って子宮口を押し広げる方法)、なんとか下から産むというわけにはいかないんでしょうか?」
すると、
「陣痛促進剤は、子宮口がまだ閉じている場合は使えない。人工的に子宮口をあけて分娩させてもいいのだけど、その場合は最低限半日なりの時間がかかる。今、これだけの小さなお腹の張りで、胎児の心拍数が落ちてきてしまっているでしょう。そうすると、大きな陣痛が来た場合に、胎児の状態が危ぶまれるので、ここは早く手術に踏み切った方がよいです」
と説明される。
そうかー。じゃぁ、仕方ないな。帝王切開だ。
「で、いつですか?」
「今日」
「きょ、きょうですか!?」
思わず叫んでしまいました。院長先生の、のんびりとした言い方につられてつい私ものんびりと構えてしまっていたのですが、そうか、状況は案外ひっ迫していたのだ。
「今、午前10時でしょう。朝ご飯たべました?食べた直後は手術できないから、そうですね、手術はお昼すぎにしましょう。もう何も食べないでね。水も飲んじゃだめですよ。それから、家のひとに連絡して、入院の準備してもらってきてください」

ぼーぜん。

診察室を出て、婦長さんに入院準備のための採血をされながら、
「いきなり手術って言われてしまって、心の準備がまだ出来ていないです〜」
というと、
「じゃぁ、今から準備してね」
と返される。とほほ。

とりあえずその後母に連絡をして、かねてから入院準備をしておりあれこれを詰めたバッグをもって病院に来てもらうよう頼み、ダンナに連絡。ダンナも開口一番「うっそ!」とびっくりしていました。
明日、こちらに飛行機で来る予定だったのに、一足予定が早くなってしまったねー。
ダンナは今日、会社で重要な会議があるのでそれは抜けられないけれども、それが終わり次第できるだけ早くかけつけると約束してくれました。

息つく暇もなく、看護婦さんに「手術準備のための点滴と、手術の説明と、検査のための注射をしますから」と、分娩室につれていかれる。
分娩台に寝せられ、左手に点滴を打ち、右手に注射を打たれ、かたわらに看護婦さんが立って、手術前のアレルギー反応などについてのアンケートを取られる。
うーん、テンションあがってきたぞー!
テンションがあがると、私、誰かとおしゃべりしたくてたまらなくなるのです。
とりあえず、分娩台で一人点滴を打たれながら、「今から出産!」とメールしまくっておりました。(ちなみに携帯電話については、個人経営の病院なので規制が緩やかであったということと、看護婦長さんのお許しもあり、使うことができたのです)
しかし、分娩台に上がり、全身すっぱだかで手術着を着て左手には点滴を刺し、なおかつ右手で携帯メールを打つ姿は、傍目で見たらさぞかしヘンだったことでしょう...。気分的には、かなりそれで落ち着いたのですが。

午前11時。一通り手術前の予備注射や剃毛が終わり、分娩室を出て病室に入る。
この病院の病室は、二人部屋か、小さな個室か大きな個室の三種類があったのですが、今回私は大きな個室に入ることにしました。(この個室はソファやTVや冷蔵庫もあり、歯磨きセットやシャンプーなど、あれこれのアメニティもそろっていて、まるでちょっとしたホテルのようでした。)
その頃には母も病院に到着し、また祖母も妹も父もやってきて、ダンナは間に合わなかったけれども、私の実家の一家勢ぞろいで病室に集まりました。
手術は午後1時とのこと。私は点滴をしていたのでベットに横たわり、家族とおしゃべりしたり、片手で携帯メールを打ったりで気を紛らわせつつ。手術の時を待ちました。
やがて、いよいよ手術の時が。看護婦さんが私の部屋まで私を呼びにきて、私は家族から「がんばって〜」と声援をもらいながら点滴スタンドを片手に病室を出て手術室に入りました。

手術室にて。
自力で手術台に上がると、看護婦さんにてきぱきとモニターの端子をつけられました。その後、麻酔担当のお医者さんがやってきて、私は手術台に横向きになって、エビのように丸まって背中を出して、脊髄注射で下半身麻酔。
これが痛かった...。最初に痛み止めの注射をしますよといわれたものの、その後も背中にゴンゴンと杭を打たれるような痛さ。昔、足首の手術をしたときに、下半身麻酔は体験していたので、初めてではなかったはずなのですが。この痛さを忘れていたよ。
長かった麻酔注射が終わって、ごろりと仰向けになると、とたんに慌ただしくなりました。
手足を台に固定され、顔の前に衝立が置かれ、隣の部屋からわらわらわらっと術着に身を包んだ人たちが5、6人あらわれて私を取り囲み、「メス!」とか「モニターは?」とか「チューブもってきて」だとか、あれこれ言葉を交わしている。
こ、この状況は...、なんだか仮面ライダーの改造シーンみたいじゃないか!! ってアホなことはそのときは考えられなかったけれど、

き、き、緊張してきたよーーーーーっ!!

この頃から、私の心拍数がガッツンガッツン上がってきました。隣に私の心拍数を表すモニターがあったのだけど、脈拍は135くらい上がっていたと思う。ピッピッピッピッピッピッピと、モニターはせわしなく音を刻んでいました。
横のモニターを見ながら、私が「ヤバイです、私今すっごい緊張してる...!」というと、
隣にいたお医者さんは「だいじょーぶだいじょーぶ、普通だよ」と返してくるのだけど、いや我ながらこの脈拍数は全然ふつーじゃない!
そして、みるみるうちに、手と、足が、これはナニ?ってくらい、押さえようもなくブルブルと震えてきてしまいました。
間もなく、麻酔担当のお医者さんが、上半身を冷たい脱脂綿で触って「これは冷たい?」、麻酔の効いている下半身を同じ脱脂綿で触って「こちらの感触はどう?」、と、麻酔が効いているかどうかのテストをはじめました。
それが、どちらも同じく冷たいように思えて!(麻酔が効いていないように思えて!)
ますますパニックに。
「いや、どっちも冷たいですー!ま、まだ効いていないと思いますよーっ!」
との声も空しく、衝立の後ろでは、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」の声とともに、すぐに執刀されそうな雰囲気が。
ヤバイ、ヤバイ、今メスを入れられたら...!まだ麻酔効いていないのに...っ!!
パニックになる私。すると、
「ハイ、酸素吸おうね〜」
と、口にチューブがあてがわれました。
すーはーすーはー。 そのチューブの下から、
「ヤバイです、麻酔まだ効いてないとおもいますよーぅぅぅ!!」と私は叫び、
と同時に、下腹部のところに、サクリ、というメスの感触がはいったことは覚えています。
そのあとの記憶はないです。私は意識を失いました....

***

気がつくと、私は病室のベッドの上でした。
聞くと、手術中、私があまりにもパニックになってしまったので、途中で薬で眠らされたみたいなんですねー。
普通、こういうことがなければ、帝王切開でも患者は意識があるので、取り上げた赤ん坊を手術台の上で抱かせてもらったりするらしいのですが。私はその辺の記憶がさだかではないので、ちっとも覚えていないのです。とほほ。
麻酔から覚め、朦朧とした意識でベッドに横たわっていると、家族がわらわらと現れる。
「おめでとう!男の子よ!赤ちゃんかわいいよー!」と母。
生まれたんだ...。なんだか不思議な気分。五体満足?と聞くと「ちゃんと五体満足よ」とのこと。よかった...。
その後、赤ん坊を病室までつれてきてもらう。私は手術直後で四肢が全く動かないので、看護婦さんに抱きかかられた赤ん坊を枕元に寄せて、見せてもらう。
「ちっちゃい!!」
それが第一印象でした。なにもかもが小さい。この小さい生き物が私のお腹の中に、さっきまでいたのねー。不思議。
その後、寝たまま胸元に赤ん坊を乗せてもらい、ぎこちない手つきで、抱く。看護婦さんに手伝ってもらって、赤ん坊の口におっぱいをあてがう。赤ん坊は、ちゅっぱちゅっぱと、乳首を口に含んでオッパイを飲んでいる。可愛い...! やがて赤ん坊は新生児室につれていかれ、家族は赤ん坊を見に病室を出ていきました。
その時でした。
「ヤバイ、泣きそうだ...」
なんだか熱いものが込み上げてきて。
とたんに、涙がボロボロと出てきて止まりませんでした。
出産後に泣いちゃうなんて、私のガラじゃないしミットモナイよなぁと思いつつ、涙があとからあとから溢れてきて。
手が動かせないので、涙を拭うことすらできず、私はひたすら壁を向いて涙を流していました。
家族は途中から病室に帰ってくるなりその様子に気付き、びっくりしておりました。母はオロオロとして私の涙を拭いながら、「お母さんまでもらい泣きしちゃうじゃない」と...。いやぁお恥ずかしい。父は「マリコらしくないねぇ」と笑っていましたが。
でも自分でも、なぜ泣けてしまったのか、不思議。出産前まで、我ながらあんなにアッケラカンとした気持ちだったのに...。
なぜと言われても、説明がつかないのですが、あれは単に嬉しいとか、悲しいとか、安心したとか、単なるそういう感情ではなく、自分でも分からない、胸に押し寄せてくる、本当に感極まった思いでした。
その後、ほどなくしてダンナ到着。出産から約 3 時間後でした。出産手術そのものには間に合わなかったものの、かなり早い到着。聞くと、会社の会議を途中から抜け出してきて、職場から直接羽田に直行し、文字どおり飛ぶようにこちらにやってきたらしいです。頑張りましたねぇ。
私もそれまで嗚咽を押さえて涙だけ流していたのですが、ダンナの顔を見たら、とたんに安心して涙腺が緩んでしまって。ミーミー泣いてしまいました。


その後、院長先生から、今回の出産についての説明を受ける。
今回、手術でお腹を開いてみて分かったことなのだけれど、私の子宮には、ピンポン玉大の筋腫が複数個あったようなのです。子宮筋腫があるということは、妊娠初期に聞いて分かっていたことなのだけれど(子宮筋腫自体は、珍しいものではない)、結構それがなかなかに大きく、複数個あることについては検査でもわからず、予測していませんでした。どうやら、赤ん坊の成長がはかばかしくなかったのは、その子宮筋腫が原因だったみたいなのですねー。 ほんと、お腹を開いてみてはじめて分かるというのは、こういうことなんですね。
胎児も出産直後はすぐに息をせず、軽い仮死状態といえなくもない状態だったとか。新生児の生まれた健康状態を示すアプガースコアというものは、10点満点中 8 点ということでした。

「いやいや、手術してよかったですよ。ベストのタイミングでした。胎児が小さくてなかなか最後の成長が芳しくなかったのも、おそらく、これが原因だったと思いますよ。
 まぁ、今後普通の妊娠出産にはそう影響はないと思うけれど、そういう事情だから、あなた、次の子供も、臨月に入ったら帝王切開で生みなさいね。同じことが予想されるから。そして子供を産み終わったら、子宮筋腫の手術しちゃいなさい」

とのことでした。いやはや...。
お産は百人百様とはいうけれど、つまり私は、自然分娩では産めないカラダだったってことなのねー。
出産前は、自然分娩に、陣痛経験にこだわってしまっていたけれど、そういう子宮をもってしまったということで、仕方ない。そう考えるとあきらめもつこうというものです。なはは。
そうか、次も帝王切開か...。としみじみとしてしまいました。ま、次があるとすればの話ですけれど!
であるならば、今度は手術中にパニックになることなく、ちゃんと意識を保って、手術台の上で赤ん坊を抱きかかえるくらいの余裕を見せたいものです。
って、で、できるのか!? なんだかできないような気もするけれど...。





●追記

気になる帝王切開の手術痕については、傷の大きさは約15cmくらいと大きくはありますが、股のすぐ上、あまり目立たぬところに身体のシワに沿って横向きに、目立たぬよう切ってくれたようでした。
緊急性を要する手術の場合は、お腹の真ん中、お臍のすぐ横を、大きく縦に切ったりもするそうですが、今回はそうではなかったみたい。
婦長さんいわく、「大丈夫、ビキニも着れるわよ」とのことでした。
ビキニを着るかどうかは他の問題も大きく存在するので別として、なんにせよ良かったです。
抜糸前に、コッソリと患部のガーゼを剥がして見てみたのですが、最近の帝王切開の傷口の縫い合わせというのは、糸を使わず、ホチキスの留め金みたいなのでバチンバチンと行うのですねぇ。
まるで傷口が、サイボーグ仕様みたいなカッコヨサで、思わず鏡を見ながら「おおおお」とため息をついてしまいました。抜糸時は、記念に抜いた針ももらってしまいましたよ。(本当にホチキスの針みたいでした)

また、妊娠中の検診から見たいみたいと主張していた自分の胎盤ですが、こちらも無事に見せてもらうことが出来ました。
最初は看護婦さんがビニール袋に入れた胎盤を病室までもってきて、チラリと見せてもらっただけだったので、もっとじっくり見たいので、袋から出してもらえますか?とリクエストすると、珍しがられながらも改めて、お皿に出して病室の枕元まで持ってきてくれました。
こういう機会でもないと、自分の元内臓をこの目で、じっくりと見ることもないですからねぇ。ためすすがめつ、興味深く観察しました。写真も数枚撮ったりして。
いやいや、おもしろい! この胎盤という器官が、赤ん坊と母親をつなぐ生命線だったわけですからねぇ。袋がゆりかごでもあり、管が栄養チューブでもあったわけです。
まじまじと見ていると、看護婦さんがいろいろと丁寧に説明してくれながら、
「それにしても珍しいですねぇ。皆さん、結構気持ち悪がる人が多いのですが。でも胎盤って、すごく重要な器官なのですが、お産が終わるとほとんど注目されることもなく、専門業者が回収して焼却処分されてしまうんですよ。こうやって敬意をもって観察してもらうなら、胎盤自身も本望ですよ」と。
「敬意をもって観察」って...! 「本望」って...!!
その言い方がおかしくて、看護婦さんと一緒に私は思わず笑ってしまい、傷跡にひびいてイタタタタと身をよじったのでした。
おしまい。

baby1
出産直後、赤ん坊はマッサージや酸素吸入を施され、
baby2
その後、クベースという保育器に入れられました
baby3
生まれたての顔は、まさにお猿さんのようです