私とコンピュータ(Mac)・そもそもの馴れ染め

人がなにかを始めるときには、たいていなんらかのキッカケと いうものがあるようですが、私の場合も然りでした。それも 嵐のよーなきっかけが...。 私の、パソコン(Macintosh)との出会いのことをお話します。


そう、あれは、非常にショックな出来事がきっかけでした。
あれは、1993年、私が大学2年生の夏のことです。事の起こりは、夏休み に、中学校以来の友達と、オーストラリアへ遊びにいこうね、と約束して いたことでした。夏だと、あちら側は冬だから、オフシーズンで安いし。 でも結局、その友達は彼女の父親の反対でいけなくなってしまって、すっ かり行く気になってしまってた私は、それでも諦めきれなくて、手当たり 次第に一緒に行く人を探していたのでした。そこへ、「私、向こうへ1ヵ 月ほどオーストラリアにいる予定から、途中から遊びに来ない?」との誘 いの声。「乗った!」二つ返事で決めました。結局、キャンセル待ちでチ ケットも運良く取れて、カンタスの8月3日から18日まで、11万円。 安いでしょ?
ホテルとか、移動手段は向こうの知り合いに頼むとして、フリーのツアー とか、ホームステイとかは何度か経験はありましたが、まったくの個人旅 行は今回が初めて。しかも、向こうのメルボルン空港で待ち合わせ! ”ふふっ、海外旅行なんて、かる〜く行くもんよね、かる〜く”
ビザもオッケー、空港への足のスカイライナーもバッチリ予約して、3日 に私は足取りも軽く、成田空港へ向かったのでした。 ....が、しかし!
空港に着いて、チェックインするとき、カウンターの係のお姉さんは、私 のパスポートを確認して、ぎょっとしたように言いました。

「お客様、これ..、期限が切れておりますが.....?」

えええっ、うそ、まさか、えええっ...!!!
心当りはあったんです。私、実は、パスポートをなくしたという前科があ って、一度、その、再発行をしてもらってたんですね。だから、元のパス ポートの発行年月日は1988年7月で、再発行のやつは1989年5月 だったんです。ビザも、このパスポートで取れたし、私は、有効期限は、 再発行の発行年月日から数えて1994年の5月だと思ってたんですね。 .......ところがそれが違ったという....。
少し、不安ではあったんですが、今から取ってたんでは間に合わないし ビザも取れたんだから、大丈夫大丈夫と、軽く考えてたのがいけなかった。 甘かった。ばかだった。確認くらいは、しとけばよかった....。
もう、目の前がまっくらって、こういうことを言うのねって感じでした。 楽しみにしていた旅行が、ショッピングが、ホェールウォッチングのツア ーが、がらがらがらと、音を立てて崩れていきました。今だからもう、笑 って言えることですが、そのときはもう、本当にパニック状態。それに、 恥ずかしくってたまらなかった。
とにかく連絡をと思って、向こうで世話してくれる予定だった方に、拙い 英語でなんとか用件を伝えて、それから実家に電話を入れたときには、思 わずぽろぽろと、電話口で泣いてしまいました。
まったくねえ。ほんと、ばかみたい。ほんと、その時ばかりは自分がいや になってしまったというか。友達にも、旅行のこと、吹聴して回ってたん で恥ずかしくて、実はまだ日本にいるって事を言えないでいたし。 実家 からは、帰ってこいっていわれてたけど、やっぱり恥ずかしくて、なんだ か帰りづらかったし。自宅に帰ったらすぐにパスポート申請したので、そ の受け取りもあるので動けなかったというのもありましたが。
....と、いうわけで、予定も、バイトも、な〜んにもない状態で、思いっ きり暇な状態と化してしまった期間が1ヵ月。
気分転換に、ファミコンでもやろうと思ってたのが行き詰まってしまって、 友達にも聞けないし、それならと思って、入会したてのパソコン通信 NIFTY-SERVEの フォーラムへ入ってみたところ、もう、ずるずると通信の世界にハマって いってしまったのした。

もともと、父からのおさがりでMacintosh(初代Classic)は持っていて、 机の上にでーん!と鎮座ましましていたのですが、私自身が文系人間とい うこともあってなかなか手がつけられず、そのまんまの状態が何か月か続 いていましたのです。ところがその時のあまりのヒマのもてあまし具合と、 ファミコン(たしかドラクエ5だったかなぁ)のヒントが欲しい一心から、 マウスすら満足に持てない状態、「アプリケーションってなに?」という 超ド級初心者の状態で、ずぶずぶと通信にのめりこんでいってしまったの でした。 
当初周りには Macintoshはおろか、パソコンなんてやってる人は皆無に近く、 本なんか見てもチンプンカンプンで、もう、私自身は頼る人といえば通信 の向こうの、顔も見たことのないようなパワーユーザーの助言のみが頼み の綱の状態。 でも、その顔も見たことのないベテランの皆さんはみんな 親切で、お馬鹿な質問ばっかりする私を手取り足とり導いて下さったので した。 そーしてなんだかんだしているうちに、「 HyperCardっていう ソフト使ってスタック作ってみない?」というお声がかかり、それじゃぁ と思って作ったソフトがなかなかの評判で、それに気を良くしていろいろ スタックを作ってライブラリにアップロードしているうちに、今度は雑誌 や CD-ROM などに紹介などしていただいたりして。それがまた嬉しくて、 またどんどんと、ずぶずぶと、のめりこんでいってしまったのでした。

今はもう、だれもがメールアドレスを持ってるし、インターネットもすっかり 市民権を得た感じはありますが、一般にはインターネットのイの字も流行らないころ、 パソコン通信の時代からコンピュータを扱いはじめたことは私の財産かなと 思っています。 おかげで色んな方と出会えたし、色んな経験も出来たし、歩む道も大きく変わりました。今日の私が あるのもそのお蔭と言っていいと思います。
私も時代につれて Windowsを扱うようになり、家のSOHO 環境は Unix (FreeBSD) のサーバーの下に4台のパソコン(WIndows,Macintosh)が 動いています。

.....もし、私が、あの時、オーストラリア行の旅行がダメになっていな かったら、どうなっていたことでしょう?? きっと、あんなに落ち込む こともなく、あんなに世間と隔絶してヒマをもてあそぶこともなく、あん なにパソコンに夢中になることもなかったんじゃないか、なんて思います。 あのオーストラリア旅行がフイになっちゃったのは、すごぉく悲しかった し、ものすごく落ち込んだりもしたけれど、それがなかったら、きっと、 この魅力的なコンピュータの世界に結局のめりこむことが出来ずに今に至 っていたかもしれない。 

....そう考えると、あの苦しかった瞬間も、まっ、いいかぁ? よかったかなぁ、なんて思ってしまう今日この頃だったりするのです。