セイレン(Story)
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 その日、帆船スクーナー・アルガス号は、船倉一杯の積み荷を乗せて大西洋を航海中だった。どんよりと曇る空の下、急に強くなってきた風をはらんで、マストにかかった麻布がバタバタと大きくはためく。長年の航海でくたびれかけた船体が、横からの突風を受けてギイイと音をたててきしんだ。
「荒れてきたな...」帆船に乗り込む数多の船乗りの一人、パウロ・デ・マンチェスは甲板から大きくうねる波しぶきを見つめながら、そうひとりごちた。
 他の船乗り達と同じように、パウロは日に焼けた褐色の肌に、鍛え上げられた筋肉を持つ逞しい男だった。潮風にさらされて黄色くなったボロ布をまとい、肩までまくりあげた袖からは太い腕が伸びている。彼は船の横腹から船べりに手をかけて身を乗り出し、空を流れる雲の行き先や風の強さなど、特に荒れてきた海で必要不可欠となるこれらの情報を、風の中からじっと目を凝らして読み取っていた。
 天気は確実に悪化していた。空はみるまにかき曇り、大粒の雨が甲板をポツポツと叩きはじめた。

 ふとした瞬間、彼は吹きすさぶ風の中から何かが聞こえたような気がして、霧で視界がきかなくなってきた水平線の向こうに目を向け、じっと耳をそばだてた。
 が、何も聞こえなかった。気のせいだったのかとパウロがあきらめて身体を戻すと、大きなロープを肩に担いだ船乗り仲間のサンチェゴが目の前に突っ立っているのに気が付いた。
「この海域の噂、知ってるか?セイレンの魔女が住んでいるんだってよ」
 サンチェゴは青い入れ墨の入った太い腕を、不安そうに揉みしだきながら言った。「セイレンの魔女が歌う時、その歌声は嵐を呼び、船乗りを海の底へ沈めるんだと」
「くだらない、迷信だよ」パウロはすれ違いざまにサンチェゴの肩をポンと叩き、船倉に急ごうとした。二、三歩歩みを進めたその時、ピカリと青白い閃光が暗い空を貫き、直後凄まじい轟音、バケツをひっくり返したような雨がアルガス号に襲いかかってきた。



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※この文章及びイラストはフィクションです。登場する人物、団体は架空のものであり、実在する人物、団体とは一切関係ありません。
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