ヘンゼルとグレーテル(Story)#4
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 勝負は一瞬だった。老婆がかまどの入り口を覗いた瞬間、グレーテルは力一杯老婆の背中を押し、隠しもっていたマッチを擦って火をつけると、老婆の背中越しに、油のたっぷりしみ込んだほし草めがけてマッチを投げ入れ、大きな鋼鉄製の扉を素早くガチャンと閉めた。
 ズン、と腹の底に響くような音がし、かまど全体が明るく白く輝いた。どうやら撒いた油の量が多すぎて、引火した火は予想以上の勢いになってしまったようだった。小さなマッチの火は乾燥したほし草に燃え移り、火の玉のように瞬時に膨れ上がり爆発した。
うぉぉぉぉのぉぉぉぉれぇぇぇぇ、たばかったなぁぁぁ
 驚いた事に、老婆はこの爆発にも関わらず、即死をまぬがれたようだった。耳を覆う程の老婆の金切り声がかまどの中から聞こえてきた。
 中は業火だった。鋼鉄の扉を叩く音がする。
ドン、ドン、ドン。
 グレーテルは耳を塞いで後ずさった。自分が起こしてしまった行動に恐れおののいてはいたが、自分達が助かるためにはこれしかなかったのだ、と自身の胸に言い聞かせてもいた。
 中からまたもや声が聞こえた。今度はあえぐような、かすかな声だった。
 グレーテルは恐る恐る、かまどの横についた小さな覗き穴に近付き、なかをのぞこうとした、が、その途端、細い枯れ枝のような燃え盛る手が勢い良く伸び、グレーテルの腕を掴んだ。
 老婆の身体は燃え盛る炎に包まれていた。生きながら燃え、肉がただれ落ち、ぶすぶす、しゅうしゅうと無気味な音をたてながら、それでもまだ生き絶えず、目だけは爛々とグレーテルを見据えていた。そして、地の底から聞こえてくるようなしわがれた低い声で、グレーテルに語りかけた。

「これで終わりだと思ったら大間違いだ、グレーテル、次はお前の....」

 そこでガクリと息絶えた。
 グレーテルはあらん限りの大声を出した。わめきながら、掴まれた腕を振りほどこうとして滅茶苦茶に腕を振ったが、力一杯握られていたのでなかなか振りほどけず、しまいにぶちりという音がして、炭化した老婆の腕が根元からもぎ取れて地面に転がった。
 グレーテルは涙で頬を濡らしながらその千切れた腕を見つめた。手のひらは上向きになり、何かを求めるように筋張り、空を掴んでいた。

 小半時ほど、グレーテルはその場に座り込んでいた。次はお前の...? 一体何を言おうとしたのだろう、グレーテルは首をひねった。
 かまどの火が小康状態となり、グレーテルは扉を開けても問題ないだろう、と判断した。
 ゆっくりと注意深く扉を開き、グレーテルは中を確認するために、おそるおそる内部に入った。
 中はまだ熱く、あちこちでぶすぶすと燃えさしが煙をあげていた。グレーテルは老婆の死体を確認しようとしたが、不思議な事に、目の前で燃え尽きたはずの老婆の灰は見当たらなかった。
 そのかわりに、グレーテルは、かまどの中央に鈍く光る小さな水晶の玉を見つけた。それは半透明で白く濁り、玉の中央には緑色の点がぼんやりと見えていた。グレーテルが玉を拾い上げて手に取ると、白い玉は、微かな音をたてて手のひらで崩れた。
「まるであの人の目玉のようだわ...」なんとなく連想すると、グレーテルはとたんに気味が悪くなってクルリとUターンし、扉を閉めるとヘンゼルを助けに、家畜小屋まで走っていった。

 ヘンゼルとグレーテルは久々の抱擁に涙し、肩を抱き合って喜んだ。
「魔女は死んだわ、お家に帰りましょう、お兄さん」グレーテルは言った。
「ここにある宝物のありかも、私知っているの、せっかくだからお土産にもらっていきましょう。お父さんが喜ぶわ」
「でも、お母さんがいるから、またお家に帰っても、僕らは森に捨てられるかもしれないよ...」思い出したようにヘンゼルが不安そうに呟いた。
「大丈夫だと思うわ」グレーテルはそう断言した。自分でもなぜだか分からないのだが、自分の身体のどこかでプチンと弾けた、根拠のない確信と安心感が胸にあった。「大丈夫だと思うの」

 二人は老婆の家を物色し、エメラルドやサファイア、真珠のネックレスなど様々な高価な貴金属をポケットに詰めこんだ。老婆はこれらの宝石をどこからか、長年集めて溜め込んでいたらしく、たくさんの宝物が家のあちこちからざくざくと見つかった。
「これだけあれば十分だね」ヘンゼルが判断し、二人は家を後にして山を下りた。今度は不思議な事に道に迷う事も無く、さわさわと木々の梢が二人のために道を開けているようだった。
 村に戻り、二人のの家に辿り着くと、ヘンゼルは扉を恐る恐るノックした。怖いお母さんが出てくることを危惧したのである。しかし、扉に出てきたのはきこりの亭主、お父さんだった。亭主はびっくりして二人を出迎え、涙を流して過ちを詫び、二人を順繰りに抱き締めた。
「お母さんはお前達を森に残してきてから熱病にうなされていて、ちょうど今朝、死んでしまったんだよ」
 亭主は兄妹に説明して涙を押さえた。「死際にあわせることが出来なくて残念だったが」グレーテルはそれを聞いてなぜか、心臓がドキンと高なるのを感じた。
「お父さん、僕達お土産があるんだ」ヘンゼルはそう言うとポケットを探り、老婆の家から持ち出した宝物を次々にテーブルに並べていった。「これさえあれば、僕達もう、ひもじい思いをしなくていいよね」ぽっかりと口をあける亭主に向かって、ヘンゼルは意気揚々と言った。

 グレーテルはある予感で、胸がドキドキと高鳴っていた。家の裏にある小さな池に走っていき、水面をじっと見つめると、覚えていない呪文が口をついて流れ、触れてもいないのにさざ波がさぁっと走っていった。水面に映った自分の顔をまじまじと見ると、はしばみ色だった瞳の色が薄い緑に変わり、そして目の玉全体がなんとなく白く濁ってきていた。グレーテルは突如として確信した。
 自分が一体何者になったのかを。

 今は老婆の発した最後の言葉が理解できるような気がした。
「いいじゃない、これはこれで面白いわ」グレーテルは水面に映った自分の姿に向かって、挑むようにニヤリと笑った。


-終わり- 
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