_ *[感想]オーラの泉(堀ちえみさんの回)を見て思う
今日、堀ちえみさんの回を見ました。この回は堀ちえみさん自身の話は少なく、正直ダシ(失礼)という感じで、いじめと教育問題について、お二人が自説を語っておられました。
というか、見るのが嫌になって最後まで見れなかった。
なぜだろう。
多分、お二人は、一連のいじめ事件に対してなんらかのメッセージを社会に出したかったのでしょう。それだけになんだか妙に一般論的、例外のない感じになってしまっていて。特に断定的な説教臭さを感じてしまったからなのかもしれない。
昔から、一方的に価値観を押し付けられるような断定的な説教に、常に反発してきてしまった人間なので…。
まぁ、私みたいな天邪鬼な考えでは世の中は変えられないのでしょうし、常に多面的、例外的、個人的にしか物事をとらえないような考えでは、全体の問題は解決しない、のでしょうけれどもね。
つまりは私が未熟だからなのかもしれませんが。
「己の生き方について、恥を知るべき」
「誰かが見ている、という意識を持つべき」
「思いやりは想像力」
だののメッセージは、なるほどと思ったり、いつも思っていたことだったりしたので、違和感なく受け入れられました。
「想像力を養うのは詩や本や俳句」
「今の時代は汚いものが氾濫している。受け手が情緒障害を起こさないように、作り手がもっと上品で美しいものを手を携えて作っていかないとだめ」
というのは、ちょっと…私には受け入れがたかった。
幼い人間に過激で精神汚染を起こすようなものを見せない、という、R指定のようなシステムを作るのはいい。
でも、作り手にそれを求めるのは、どうなの?
そもそも、何かを作り出すエネルギーというのは、汚いもの、反社会的なものも含めて、それを踏まえて、出てくるものだと思うのです。もちろんそうでないものもあるのでしょうけれど。
最初から「美しい」ものだけを作ろうとしたって、深くて良いものなんか、出来るわけが無い。。と思う。多分。
「美しい」ものがよくて「汚い」ものがダメだなんて、それは、失礼千万で思い切って言うと、文化への冒涜じゃないかしら…。昔、ナチのヒトラーが、迫害と検閲でドイツ文化を滅茶苦茶にしたことを思い出しました。
正直、何が美しくて、何が美しくないか、それは私には分かりません。その境界線って、どこなのだろう、と思う。
清濁あってこその、文化。闇あってこその光、だと思うのです。世の中には唾を吐きたくなるほどの下世話なモノモノはたくさんあるけれども、見る見ないは個人の自由なのだから、作り手を制限してしまってはいけないと思うのです。それが私の意見。
教育や子供への影響を憂うのであれば、それは、個々人が、子に対して、そういった汚いもの、醜いものへの対処の仕方をどうすればよいのか、スタンスを教えるというのが、教育なんじゃないかなぁと、私は思います。エラソにすみませんが。
まぁ、日本の軽薄な流行りモノに対する、「お祭り騒ぎ」の傾向を苦々しく思ってこその発言だったのかもしれませんが。
でも、最近私はこの番組にすごく傾倒してしまっていたのですが、今回、はじめて違和感を感じることで、ハタと私なりの距離をとることが出来て、逆によかったのかもしれない。
もちろん、美輪さんや江原さんの意見はすばらしいし尊重すべきとはおもうけど、何事も価値観の依存・傾倒のしすぎは良くない、と思うし、彼らは彼らの、私は私なりの立ち方で立っていくべきだとおもうので。
_ 「これも必然ですから」ってやつですかね?(笑)